行動力が大事だと感じた日
行動してみたら落とし物が見つかった話。
AirPods pro のケースをなくした。
帰りに乗っていた電車までは持っていたような気はするけど
その記憶すらおぼろげでどこで落としたのか検討もつかない。
いつもは上着のポケットになんとなく突っ込んでいるのに見つからない。
普段無意識に扱っていると最後にいつ触ったのか全くわからなくなるものだなあ
と人間の脳メモリの脆弱性に感心しつつ内心結構焦っていた。
というのもAirPods proは幾分高級品で当時3万円以上で購入した覚えがあったからだ。
イヤホン自体は耳につけたままだったので残っていたのだが、
ケースがなきゃ充電ができないのだ。
こうなったら失った値段よりも日常生活から音楽が取り上げられることによるQOLの低下の損失の方が痛い。
ケースの紛失に気がついたのは帰宅後3時間ほど経過したあとだった。
私は大型シェアハウスに住んでいるので行動範囲は広く、捜索に多大な時間を費やしてしまった。
一番怪しいと踏んでいたリビングあたりを繰り返し探した。
さっき確認したばかりであるはずもないのに何度もぐるぐると、、、
余談ではあるが、ものを探している時間というのは世界一無駄なのではないかと最近思っている。
自室は散らかり具合を極めている密林なのでそこには落ちていませんように
と願いながらも一応探した。
途中買い物にでかけたコンビニまでの道のりも排水溝の中まで確認しながら2回も探しに行ったが見つからなかった。
周りから見た私はシェアハウスのリビングを徘徊する不審者に見えていたことだろう。
これだけ探して見つからなければ自分のポケットやら鞄からでてくるはずもないと判断し、
もしかしたらシェアハウス内の子供がおもちゃと間違えて持っていってしまったのかもしれないと疑心暗鬼になっていた。
周りに相談すると、ケースだけなら1万円くらいで買えるから諦めて買った方がいいとのこと。
そうか。たしかになあ。
と自分を納得させたつもりでも、性懲りもなくうろうろし続けていた。
落とした可能性がある場所の記憶をしばらくたどっている中、
どこかの偉い人が考えるより行動した方がいいとかなんとか言っていたような気がするということを思い出した。
そのどこの誰だかも知らぬ他人の言葉を愚直に信じ、外に出て自転車にまたがった。
そして今日通った道を全て探してやると意気込みペダルを漕いだ。
時刻はAM1:00を回っていた。
私は家から駅までの道を爆走し始めた。
もう半分やけくそになっていたのだが。
結局その道では見つからなかったが、道中にある交番の灯りに目が止まり、
こんな時間まで働いているなんて偉いなあと駐在する警官に心のなかで敬礼をして
ダメ元で落とし物がないか聞いてみることに。
警官はとても親切に対応してくれた。
警察署に問い合わせてもらうとそれっぽいものが見つかったらしく
特徴を詳しく話すとまさしく私の落とし物と一致していた。
上図の写真の通り私のケースはかなり特徴的だったため
電話越しでも確定的に私のものであると特定できたのだ。
問い合わせてくれている見るからに真面目そうな警官が
「そう。メタモンのやつ」って言っていたのがなんだか可愛らしかった。
そこから紛失届を書き、自転車で10分程の距離にある警察署まで直行した。
警察署ではあらかじめ電話で伝えていたためスムーズに対応が進んだのだが、
誰だかの行動力大事論を信じ家を飛び出した私は財布を持っておらず身分証明書がなかったのだ。
スマホの画像フォルダにある免許証の写真でもよいとのことなので
膨大なアルバムの中を遡りなんとか見つけ出した。
アルバムのプライベートな写真を真横から担当の警官に見られて少し恥ずかしかったが
落とし物が受け取れれば問題ない。
本人確認が終わり、例のケースと8時間ぶりの再会を果たすことができた。
苦労して見つけた分喜びもひとしおである。
帰り道は急勾配な上り坂であったが目的を達成した私にはアドレナリンが出ていたのか
全く苦に感じなかった。
高揚した気分で帰宅し、さきほどまでリビングで談笑していた同居人たちにこの思いを共有したいと駆け足で向かったのだが
一同解散し誰も残っていなかった。それもそのはず帰宅した頃すでにAM2:30をまわっていた。
独り悶々としブログにこのエネルギーを放出することにしたのである。
【結論】
なんか行動してみたらたまたま問題解決に至ることもある